Promotion of international law (Is Tokyo Trial justifiable?)
さて、昨日石倉社長のオフィスで話題になった事がある。
終戦直後に開かれた東京裁判はデタラメかどうか?という問題だ。
東京裁判は連合国による勝者による一方的な報復裁判である、というのが定説だ。
しかし裁判を開くのには法的根拠が必要だ。
当時の国際法にそれに当てはまる根拠があるかどうか?
全くなければ、東京裁判はデタラメだ。
しかし根拠はある。確かに。それは1928年に締結されたパリ不戦条約だ。
国際紛争を武力でもって解決する事を禁止する条約であり、
世界の主要国のほとんどが参加し、日本もこの条約に署名している。
しかも国際連盟の常任理事国という立場で。
この事実は重いと思う。パリ不戦条約で国際社会が戦争を放棄したのなら、
どの様な状態であれ、先に宣戦布告した方が、国際法違反だ。
東京裁判における、インドのラダビノード、パール判事は有名だ。
パール判事の事をパル判事、あるいはパルー判事、と発音している人がいる。
正確なスペルはPALであるから、パル判事、が正確かもしれぬが、
パール判事の方が洗練されている。
パール判事は東京裁判の全被告に無罪という画期的な判決文を記した。
パリ不戦条約で、世界は戦争を放棄した部分もあるが、
戦争そのものを国際法違反、共同謀議、また個人の罪として問えるかどうか?
という問題だ。
パール判事は国際法の進化という観点から、日本が戦争を引き起こした時、
未だ国際法は戦争そのもの犯罪、共同謀議として裁くには至っていない。
との判断から全員無罪とした。
確かにパリ不戦条約にはこの条約に違反したら、国際軍事裁判にかける、とか、
あるいは共同謀議として、国家指導者個人のの罪になる、という文面はない。
国際法自体が曖昧なのだから、事後法によって裁判を行うのは明らかな罪刑法定主義違反だ。
パール判事は全くもってお見事。パール判事は東京裁判時に、初めて来日したはずだ。
裁判の際も帝国ホテルに籠っていたとの事。
パール判事の心境において、日本に対する好意や親切心は無かっただろう。
しかし東京裁判の被告達は無罪なのか?
国際法の厳格な適用において分析するなら、パール判事の主張通り、
全員が無罪だ。
しかし国家の滅亡、すなわち日本を亡国に至らしめたという観点から思うのなら、
彼らは有罪だ。圧倒的に。
パール判事の祖国インドは独立を目前に控えていた。
その中で、画期的もしくは世界世論にためらうことなく、堂々とした判決文をパール判事は記した。
日本語で1200ページに及ぶそうだ。まさしく精魂を込めたのだろう。
パール判事の判決文の存在を思うにつけ実感する。
インドはやはり世界に冠たる精神の大国だと思う。
以前ブログにおいて記した事がある。白人至上主義を打ち砕いたものは、
日本とジャマイカのレゲー音楽であると。
しかしそれは、政治経済もしくは芸術という問題であって、
法解釈ないし精神面において、白人至上主義を打ち砕いたものは、
東京裁判におけるパール判事の意見書、判決文だ。素晴らしいと思う。
ところで、パール判事の意見は東京裁判では主流とならなかった。
しかし11人の判事で裁判長を含め5人の判事が反対意見を主張したそうだ。
5人の判事がすべてパール判事と見解を同じくした訳ではないだろうが、
11人の内5人とは過半数ギリギリではないか。
という事は、東京裁判自体が、連合国すなわち勝者による一方的な報復処置であり、
最初から結論が決まっていた、との見解は間違いであろう。
判事団は大揺れに揺れたのだ。ひょっとしたら裁判崩壊寸前までいったんではないか?
結論として東京裁判では被告全員が有罪となった。
どう考えても、当時の国際法において東京裁判の被告を有罪とする事は間違いだ。
しかしパリ不戦条約を根拠に国際社会が、国際法の進化増強という観点から、
東京裁判の判決を出したのなら罪刑法定主義から大きく逸脱しているものの、
その意図は理解できる。
東西冷戦が本格的な世界大戦にならなかったのも、第三次世界大戦が起こりそうで起こらず、
現在に至っているのは、東京裁判の判決があるからだ、指摘する事もできる。
花のがくと
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