Results considered on a zero basis !

イエスキリストの12人の弟子たちは、


その全てが裏切り者だ。現実を見るなら。


正当な弟子は、唯一マグダラのマリアでしょうね。


ただ、12人の弟子たちは大いに反省したようだ。


豊臣秀吉によりキリスト教の宣教師は追放される事になったけれど、


宣教師たちはそれに従わなかった。自ら磔になる事を切望した。


やりますね。根性があるというか、圧倒的意地というか、


率直に言ってキリスト教の意地ですよ。


その事実を以て、12人の腰抜けぶりはOにしてあげよう。


私はクリスチャンではないけれど、キリスト教は世界宗教になる


要素は確かにありますよね。


ところで、関ケ原の合戦の西軍の首謀者は石田三成ではない、


という事はすでに明らかだ。


理由はすでにブログに記している。


関ケ原合戦の全体像は、一旦Oベースで考え直すべきだ。


石田三成がプランナーではないのだから。


現在において、定説は定まっていないけれど、


本当の首謀者は大谷吉継ではないか?


根底において囁かれている話、


すなわち、秀頼が成長するまで事を起こすのを待てば良かったのに、


という部分、当時、大谷吉継は重い病気にかかていた。


いつ寿命が尽きるかもしれない、という立場は大谷吉継も家康も同じだった。


大谷吉継が今しかない!と思ったのなら、その心理は理解できる。


さて、関ケ原合戦は東西両軍の勢力は拮抗していたけれど、


徳川家康には秀吉の子飼いの人達が味方に付いていますよね。


従前の解釈では、石田三成に人気が無かったから、家康に味方した、


とされているけれど、この解釈は大きく変えるべきだ。


何度も言うけれど、石田三成は首謀者ではないからだ。


家康弾劾状、すなわち「内府ちかいの条々」を何度読んでも正論だ。


Oベースで関ケ原合戦の全体像を考える時、家康に味方した豊臣恩顧の


大名たちは自己保身、裏切り者だ。その不都合な事実を覆い隠すために、


石田三成の存在をクローズアップしているのでは、と解釈できる。


追記する中で、織田政権があっけなく求心力を失ったのは、


本能寺の変で、信長及びその後継者である信忠が同時に討たれたからだ。


正確には両者とも未だ死体は発見されていないけれど。


関ケ原合戦が行われようとしていた頃、


豊臣家には、2代目、秀頼が幼少ながら存在していた。


2代目がいるなら、それを支えようとする心理こそが健全だ。


Oベースで考えた結果、関ケ原合戦の際、家康に味方した、


家康直属の部下以外は全て自己保身、裏切り者だ。


花のがくと
















花のがくと

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