Sir Ernest Satow was very hard 2 !

アーネストサトウの件は、正確な資料や記録が揃わない。


従って最終的には読者諸氏のそれぞれの判断だ。


しかし江戸無血開城はなされ、明治維新のやや平和的移行は実現している。


根本的には武士の礼節だ。西郷はよく決断したと思う。


西郷を想う時、優れた政治家である事は疑いはないけれど、


西郷は薩摩藩の下級武士、失礼かもしれないけれど、


武士の礼節とはやや遠い所にいたはずだ。


西郷を覆っていたのは武士の礼節よりも実利、状況分析だったであろう。


さて、アーネストサトウが西郷を説得した3項目の3番目、


すなわち、「江戸城を攻撃するなら薩摩ではなく徳川に味方する。」


と言った要求だ。本気だったのだろうか?


読者諸氏も気になるところだろう。


私は本当だったと思う。そうでなければ、西郷の心へは響かなかっただろう。


そしてそれは論理上において可能だ。


その根拠だけれど、明治維新前夜においてイギリスを初めとする、


諸外国は条約及び通商協定を締結したいたのはあくまで江戸幕府。


正式な国際関係だ。


江戸幕府の要人が頼めば、イギリスを初めとした諸外国は動いただろうし、


また動かざる得ない。現代で言うところの、集団的自衛権の行使だ。


明治維新のやや平和的移行がなされた背景には、当時の日本の要人が上手く立ち回った、


という側面もあるけれど、


同時にイギリスを初め諸外国が静観またはジェントルマンシップ、はたまた、


当時完全ではなかったけれど、国際法及び国際慣習というものがあったからだと思う。


日本の内政は日本の問題。


さらに分析すると、


当時は江戸幕府にはフランス、薩摩にはイギリスがそれぞれ肩入れしていた。


この1事においても、明治維新前夜において諸外国は1枚岩ではなかった、


という事実が鮮明になるだろう。


そしてまことしやかに伝わってくる。私には。


当時、イギリスの通訳官、外交官であったアーネストサトウ氏が、


江戸城総攻撃を必死になって説得している。


イギリスと薩摩の友好関係の破棄を持ち出してまで。


明治維新の前夜において、諸外国が虎視眈々と日本の内乱と植民地化をーー


という論理は崩壊だ。


明治維新前夜における、諸外国の姿勢は静観あるいは健全な形で近代国家をーーー、


と分析するのが正確だと思う。


読者諸氏も共感されるだろう。


アーネストサトウは帰還して後、Sir の称号を貰っている。


イギリスにおける日本学の権威という事だろう。


天によくする時、全体的な視点に立つ時、


アーネストサトウが明治維新の平和的実現に貢献したからだと実感できる。


アーネストサトウが親日家である事をもって、


西郷を必死になって説得した背景には、イギリスの利益よりも、


愛すべき日本の人々が戦火に禍いする事は可哀想だ!という心が、


アーネストサトウを支配していたことは十分に理解できる。


冒頭記したけれど、現時点において正確な資料や記録は揃わないのだから、


最終的には読者諸氏それぞれの判断だ。



花のがくと













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