ABCD line 2 !

正確な事実と分析が必要だと思う。


我が国日本が国際連合の常任理事国の返り咲きを果たすためだ。


日本の識者及びエスタブリッシュメントに中に存在する論評、


すなわち先の大戦の前夜において、欧米諸国の策謀、すなわちABCD包囲網によって、


止むにやまれず開戦を余儀なくされた、という論評だ。


私は鮮明に疑義を抱いている。その根拠は前回の記事に記した。


Aとはアメリカ、Bとはブリティッシュ、イギリス、Cはチャイナ、


Dはダッチ、すなわちオランダだ。


まずはABCD諸国の近現代の総合的な日本との関わり方を検証しよう。


大航海時代の覇者であったオランダとは江戸時代においても日本は国交を保っていた。


その中で、毎年「オランダ風説書」というレポートを受け取る中で、国際情背の実情を把握


していたのであり、それと当時のオランダ語の原書の貸し借りを大名同士で行っていた。


オランダは西洋文化の入手の窓口だったのであろう。


オランダはアメリカのペリー提督が日本に来日する1年前、国際レポートではなく、


オランダ国王の親書を正式に日本側に提出し、


その中で「開国の時期の必要性を諭している」これは友好国に対する信義ではないのか。


アメリカはまず最初にペリー提督がやって来たのであるが、太平洋の捕鯨船の救助をがその


主要な議題だった。


続いて、アメリカ側からはダウンゼント、ハリス公司が来日したのであるが、


先にペリーとの条約文の中で通商の件についてやや曖昧だった文言があったようだ。


日米間の通商の開始の根拠となる条約の締結は難航を極めたが、


欧米諸国の中で最も早く通商条約を締結したかったアメリカ側と、


日本においてアヘン戦争を開始したい日本側の思惑が一致して良好な通商条約が完成した。


そして現実はその通りになったのだから、アメリカ側はよく来てくれたと私は思う。


続いてイギリス、フランス等が次々とやってくる中で、日本は事前のアメリカと条約を締結


させていたのだから、アヘン戦争は起こらなかった。


その後日本は世界最大の強国イギリスと対等な同盟を締結し、日本の近代化と国際社会のデ


ヴューを支える結果となった。


アメリカは南北戦争とモンロー主義とで、多忙な時期であったので、


日本とイギリスの同盟は約20年間効力を発揮し、日英両政府が、国際連盟の常任理事国の参


加するまで続いたのであるから、イギリスは日本の近代国家の推移を支えてくれた国として


も良いと思う。


中国は好むと好まざるにおいて数千年における隣国だ。


ABCD諸国は近現代史の総合的視野において分析するおいて、


どの国も友好国及び隣国であったという事を我々日本人はまず最初に理解すべきではないか。


花のがくと






花のがくと

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