After all it's a cabinet disagreement 3 !
度々指摘している通り、現況において自民、公明の連立政権であるから、
万が1、岸田総理や林外相が靖国に公式参拝したなら、
明かな内閣不一致、内閣総辞職が求められる。
是非とも、岸田総理には長期政権を確立して欲しい。国益のためだ。
しかし靖国の悪口ばかり言っていてもしょうがない。
冷静に解析する中で、靖国と戸田城聖先生は共通する所がある。
えー!本当ですか?もちろん宗教学としては両者は相容れないけれど、
宗教の邪悪な部分の解放という点だ。
まず、偉大なる戸田城聖先生から語ろう。
牧口常三郎先生、戸田城聖先生の出現以前において、
日本の宗教はビジネス、時にお葬式におけるビジネスとなっていた。
高額なお葬式の費用を求めたり、高額な戒名料を取ったり、
お金のない人には質素なお葬式、戒名を簡素化したりしていた。
不浄ですね。そもそのも釈迦の時代、戒名というものは存在しなかった。
ゆえに戒名という存在自体が、
日本の宗教のビジネス、商売になっていたという明確な証左ではないか!
やっぱり不浄ですね!
戸田城聖先生は完全ではないけれど、日本の宗教のビジネスという部分を開放した。
靖国神社において、靖国に招ねかれた人は全て平等の神様、戒名料は不要だ。
見る角度を変えると、日本の宗教のビジネス化の解放だ!
この点において戸田城聖先生と同一だ。
話を遡る中で熱原の三列士、神四郎、弥五郎、弥六郎が、
法華経に入信し、頑として改宗に応じなかったのは、
地元の僧侶が宗教をビジネスとして主張したからだ。
平たく述べるになら、地元の僧侶が高い費用でなら立派な葬式と戒名をーー、
という事で、僧侶が贅沢な生活をしてからだ。
お坊さんを問わず公人は質素にあるべきだ。
難しかったかもしれないけれど、古代、中世において、聖職者には、
献金は禁止、国費から一定の収入を与えた方が良かったでしょうね。
現代でも、高額な寄付によって葬式や戒名の在り方を変える聖職者がいたら、
このインチキ坊主!と叫んでも良いと思う。いや、そう言わなければならない!
総括する中で、戸田城先生も靖国も宗教の商売化から日本を脱却させた。
この点において両者共通している。
追記する中で、戦没者を神様とする靖国は間違えているし、
国家の行く末を間違わせるものだ。そして見事に現証として現わされている。
花のがくと
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