Alternative 2!
数年前、友人の1人が関ケ原の古戦場を訪ね歩いた。三日三晩かけて。
ご苦労な事だ。友人の結論として、笹尾山のふもとに石田三成が軍勢擁し、
家康一行を待ち構えていたとは思えない、との事だった。
友人は関ケ原盆地ではなく、山中という集落が激戦の舞台だったのではないか?
との話だった。
友人の言が正しいのなら、関ケ原の合戦は正確には、山中の合戦だ。
そして当時、山中には、大谷吉継が布陣していた。
関ケ原のプランナーはあらゆる点から考えても、石田三成ではなく、
大谷吉継だと思う。
中世末期から近世初頭において日本には数多くのキリスト教徒が誕生したそうだ。
当然の事ながら、キリスト教は日本で自然発生したのではなく、
西洋の宣教師の布教にによるものだ。
従って当時の日本人の多くが西洋事情及び世界情勢を知ったはずだ。
関ケ原の合戦は、世界情勢との遮断及び制限を行うかどうかの2者選択の線上において、
発生した側面がある事は確実であると思う。
大谷吉継の出自は不明な点が多いが、当時敦賀に居城を有していた。
敦賀は古来より機内にける貿易の拠点であり、大谷の気風はそれに即していたと思う。
中世末期及び近世初頭における日本の命題は、日本の再統一後の世界との関わり方を如何にするかという点であったのではなかったか?
そしてそれは日本人の好むと好まざるの問題ではなく、西洋において大航海時代が始まり、
それによって世界の覇権争いが発生したからである。
織田信長はそれに対し、明確なビジョンを持っていた。
明智光秀の子孫である、明智憲三郎氏は、そのビジョンに反対するため本能寺の変が勃発した、との意見だ。
ちなみに、私の最高顧問であるKEIKO先生は、本能寺の変の黒幕はイエズス会である、という自説を今もって変えてはいない。
ところで、現在の日本は近代技術立国を誇るが、ただ唯一天然資源、いわゆる化石燃料、
すなわち石油と天然ガスの時給自足が不可能だ。
ゆえに世界貿易を展開する上で、鎖国などできる訳がない。
しかし中世末期及び近世初頭において、世界中が産業技術が未発達であったのであるから、
化石燃料は必要ない。
当時の日本が銀や金を大量に産出し、鉄砲を自国で大量に製造できるのなら、
鎖国政策を良とする判断が過半数を占めても不健全ではないだろう。理解できる。
厳密にいうなら、鉄砲使用に際する火薬の燃料、すなわち硝のみが輸入に頼らざるえない。
しかし硝石は武器使用に関するもので、一般消費財とは異なる。
掛かる状況なら、鎖国をしてもーーという意見が発生したとしてもやむを得なかったにおかもしれぬ。
しかし幕藩体制と鎖国政策により、日本が世界の潮流から自ら離れ、
近代化に圧倒的に出遅れ、先の大戦において亡国に至った、という事実だけは指摘せざるえない。
花のがくと
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