On the day of the war in the New Age !

本年11月、世界最高の聖職者であるローマ法王が来日される。


素晴らしい事だと思う。きっと優れた美しい神々をに日本にもたらして下さるだろう。


カトリックは1神教だけれど。


前回のローマ法王の来日は1981年、この頃日本は度重なるオイルショックを見事省エネと


ハイテクで乗り切った。すなわち日本が産業技術立国として躍進するきっかけとなった


年である。この年、「すみれSeptember Love」が大ヒットした。


究極において、その国の幸福度とは経済力や産業力もさることながら、


人々が美しい心に覆われているかどうか、という事ではないか?


ローマ法王の来日は日本を洗練化させる事は確実であろう。


令和元年においてローマ法王の来日は意義深い。


社会学としてヴァチカンは世界最高の組織だからだ。


さて、本題に入ろう。日本のエスタブリッシュメントのみならず、


世界の識者の中にも東京裁判に疑義を唱える人が多い。


東京裁判の訴因は、平和に対する罪、人道に対する罪、侵略戦争の共同謀議、


などとなっている。


第二次世界大戦前夜、国際法においてそうような概念は無かったのだから、


まったくの事後法、罪刑法定主義においてデタラメだ。


だが東京裁判は開かれた。パリ不戦条約を根拠に。


ところが、パリ不戦条約には戦争を国際犯罪、または戦争指導者に対して、


個人の罪として刑罰が科せられるという規定はない。


東京裁判の被告達は明らかに無罪だ。


東京裁判の被告達が有罪なら、アレキサンダー大王もシーザーも


十字軍を提唱した人もナポレオンも毛沢東も全員が有罪だ。


私の友人の中にはパリ不戦条約自体に疑義を持つ人がいる。


すなわち、欧米各国が版図を広げた植民地の中に独立運動が高揚していたからだ。


しかしながら、冷静な思索において、パリ不戦条約において、


主要各国が戦争を放棄しようと合意したのなら、それを洗練化させ具体化しよう


とする事が健全な流れであろう。


東京裁判において、インドのパール判事は国際法の厳格な適用において、


被告全員無罪の画期的な判決文を作成した。1200ページに及ぶ膨大なものだそうだ。


インドの独立を寸前に控えながら、世界世論にひるむ事なく堂々と東京裁判に臨んだ


パール判事の姿は圧倒的に賞賛されるられるのみならず、


光り輝く精神の大国インドのオリジナリティーとして世界史に輝き続けるだろう。


東京裁判においてブレイクニ―弁護士らアメリカ人弁護士は燃えている。


弁護士魂に火が付いたのだろう。懸命な弁護だ。この点は注目されるべきだ。


東京裁判の被告達は明らかに無罪だ。国際法において。


彼らの魂はパール判事の無罪判決文、またブレイクニー弁護士らの活躍において


幾分かは救われるだろう。


さて、日本の識者、エスタブリッシュメントの中に、先の大戦における日本の行為は


自衛の行為だったとする意見が多い。


確かにその論評は100%否定はできないけれど、


自衛のための戦争だったのなら、敗れたのならなおさら当時の政治家の責任は重い!


と言わざる得ない。


厳しい意見になるかもしれないけれど、当時は国際連盟の常任理事国、日英同盟、


という強力なカードを2枚も持っていたという事を指摘されるべきだ。


白人諸国に包囲されていたという意見もあるけれど、


アメリカは南北戦争の名残があったし、ロシアはロシア革命があって必ずしも国力は


十分ではなかった。またイギリスは世界に広げ過ぎた植民地の独立運動に頭を抱えていた。


また日本を当時のドイツの状況と似ていたとする人がいるけれど、


ドイツは第1次世界大戦で荒廃し、ベルサイユ条約を押し付けられ苦しんでいた。


日本は違っていた。国際連盟の常任理事国。トップ中のトップ。


有利に事を運ぶ事が十分できたはずだ。


自衛のための戦争という論評は否定しきけれないけれど、


先の大戦の敗北は、外交政策の失敗と


近代化の摂取の遅れという潔さがあっても良いと思う。


話を東京裁判に戻そう。


東京裁判はパリ不戦条約を根拠としているものの、


事後法、罪刑法定主義において不健全だ。


しかし冷静に事実を検証する中で、最初から結論が決まっていたとか、


勝者による一方的な報復処置というのは事実と違う。


そもそも裁判とは復讐の概念によって行われるべきではないし、


11人の判事達もその点は理解していたはずだ。


2年半にわたる裁判の中でパール判事は全員無罪、他の4人は少数意見。


主流となったのは6人の判事。東京裁判の裁判長はパール判事の判決文の存在を


秘匿せず、少数意見があった事、またその中に自らの立場がある事を公開したのだから、


東京裁判は最初から結論が決まっていたとか勝者によるーーー、


というのは事実と大きく異なる。


さて6人の判事の意見が東京裁判の主文となった背景だが、


裁判とは法に照らし合わせて結論を出す中で、その特徴は、


弱者保護、推定無罪、社会正義の実現となる訳だが、


社会正義の実現という観点において、係争者A,B共に合理性がある場合、


どちらの主張がより社会全体を洗練化させるかに重点を置くのだ。


すなわち、東京裁判において、パリ不戦条約をより厳格にして、


戦争自体を国際犯罪と明らかにする中で、


なおかつ戦争指導者に対して個人の罪として、


刑罰に課せられるという形にした方が国際社会の健全性の発展につながる、


という判断に達したのだと思う。


そしてそれは正しいと思う。圧倒的に。


厳然な事実として、キューバ危機、東西冷戦の本格化の回避、第三次世界大戦の防止、


として東京裁判及び東京裁判の判決は圧倒的に効力を発揮している。


東京裁判の被告達とその関係者並びに日本のエスタブリッシュメントの1部には


異論もあるだろう。


しかし東京裁判実施及び東京裁判の判決は、


人類史もしくは国際社会における画期的な判決として受け入れよう。


そして世界中の人にも受け入れて欲しい。そうする事が先の大戦において戦火に倒れた人達


への真のレクイエムとなるからだ。


国際社会には国際法において戦争は禁止されていない、という人もいるが、


東京裁判の判決がある限り、戦争は国際犯罪であり、国家指導者を法律で問う事ができる。


追記する中で、新時代「令和」において日本が飛躍するためには、


東京裁判史観からの脱却とか、日米間の条約を考え、米軍駐留を見直そうとか、


日本国憲法9条を改定して自主武装をとか、という類の識者が多い。


どれもこれも全く間違えていると思う。


上述した如く、東京裁判及び東京裁判の判決は国際法の進化増強を目的として作成された


ものであり、現実としての効果は圧倒的なのであり、根本において、


日本人のプライドや精神性とは関係がない。潔く受け入れよう。


また米軍の日本における駐留の根拠となっている日米間の条約は、片務性は解決されるべき


時期もくるだろうが、日本は米国の同意無しで即座に解消できる条項が明記


されているのであるから、日米共に国際的良好なカードとして考えるべきものだ。


また日本国憲法は占領下において作成されているものの、


日本人の精神性の元作成されており、アメリカの影響下でなない、という答申が、


1964年に約7年かけて後、発表されている。


1、東京裁判の判決は、人類史及び国際社会における画期的な判決。


2、日本における米軍の駐留は国際的良好なカード。


3、日本国憲法は、不磨の大典ではなく国家の基本理念、ルールであるから、

  変更するべきはしても良いし、温存するものは温存しよう。


2、3は総じて国益を模索する中で判断するべきものだ。


どう分析しても、日本の今後の飛躍と、東京裁判史観、日米間の条約と米軍の駐留


日本国憲法云々とは関係が無いし、返って国の行く末を危うくするだろう。


今後日本がさらに躍進していくためには、美しく凛とした心と健全な賢さを以て


堂々と進んでいくことだと思う。


健全な精神を有する聡明な読者諸氏から多くの共感を得られる事と思う。


新時代令和元年のおける終戦の日に際して。



花のがくと








































花のがくと

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