I think she was the best disciple !

Who is she ? これを発音する場合、連続した子音は省略するのだから、


フー、イズ シー ? ではなく、フーイッシー? それはさておき、


多くのキリスト教徒にとってキリストに配偶者がいて、その血統が今日、


実在するのではないか?という問題は、人生観、世界観が根底を揺さぶる問題でしょうね。


しかしながら、私はその話を現実の問題として受け入れる事ができる。


牧口常三郎先生にも、戸田城聖先生にも配偶者とその子孫が現存するのであり、


私自身、敏達天皇、大蔵氏の末裔であるからだ。


若干において宗教学についてとなるのだろうか。


ユダヤ教はその選民思想の条項を指摘する中で、ユダヤ人のための宗教だ。


やはりイエスキリストの出現は画期的だ。


ところでキリスト教徒の中で論争があるようだ。


すなわち、キリストが説法、伝道をしていた時、すでに神だったのか、


その死後、あるいはキリスト教の公認において神になったのか?


という問題だ。


当時、ユダヤ教をベースに、様々な戒律や律法のある中で、


イエスキリストが人類全体の罪を背負う中で、天に召され、


人々と神との間を戒律、律法から解き放ち、神と人々との間を浄化させたとする


教義があるのなら、キリストはその死後、神になったと解釈すべきではないか?


と私は思う。


ところで、英語圏内に人々は、マグダラのマリアの事を、メアリー オブ マグダラン、


と発音している。言語の発音の違いの問題もあるけれど、正確な表記が必要だと思う。


マグダラのマリアが娼婦であったとする汚名はすでに晴れた。


良かったと思う。しかしながら私は不十分さを感じる。


マグダラのマリアの全体像を鮮明化させる事が必要だと思う。


イエスキリストが十字架において磔になった時、マグダラのマリア以外の弟子は、


雲散霧消していた。その事実をもってキリストの弟子という立場から外されるべきだ。


聖人とか12使徒とかいう表現があるらしいが、私はとんでもない!と思う。


キリストが処刑されようとしている時、そばにいたのは聖母マリアと、マグダラのマリア


マグダラのマリアが娼婦であったというのはとんでもないと思う。


マグダラのマリアは正義感に溢れた、優秀な女性だったはずだ。


そうでなければ説明がつかないだろう。


イエスキリストに最も忠実な人物、あるいは最も優れたお弟子さん、


イエスキリストの優れた魂を引き継いでいたのはマグダラのマリアであったと思う。


花のがくと










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