We should think word politics 2 !

時系列の問題だ、指摘する中で、


1920年に世界初の平和機関、国際連盟が結成されているのだから、


1932年に日本が万里の長城の外側をーーー、と言ったとしても認めないだろう。


さて、満州国の存在をめぐって、国際連盟の中で採決が行われている。


結果は圧倒的に否決だ。


時系列並びに当時の世界政治の潮流だ。


植民地主義、西欧主義の終止符の模索だ。


ここで注目すべき事実がある。


採決に入る直前、日本と同じ常任理事国だったイギリスが仲裁に動いている。


どの様に仲裁したのだろう?


当時のイギリスの外務大臣が、日本の松岡外務大臣に、


国際連盟の正式勧告、すなわち「リットン報告書」の内容、


具体的には、中国東北部を日本を含めた国際管理地域にーー、


という案を受け入れた方が得策、という説得のようだ。


私はこの説得案を受け入れた方が良かったと思う。


しかし当時の松岡外相は拒否し、採決を強行した。


愚かだと思う。同じ観点から、幕末の江戸城包囲の時、


イギリスの通訳官であったアーネストサトウは西郷隆盛を説得した。


西郷は大局観と日本の将来を鑑み、その説得を受け入れた。


国際連盟の脱退した時の松岡洋右外務大臣と西郷隆盛との人物を比較すると、


西郷の方が2枚位上位及び上質だと思う。


余談ながら、松岡洋右外相の英語は大変優れている。


欧米の大学に留学しているはずだ。


また私は松岡をクリスチャンではないか?と推測している。


この事を考える時、本当の人物の作り方について深く考えざるを得ない。


読者諸氏も共感される事だろう。


さて、私及び読者諸氏は冷静になるべきだ。


国際連盟において日本が提唱する満州国は圧倒的不承認となった訳だけれど、


その際、何も脱退する必要はないだろう。


私は大阪の人間であるから、大阪人の気質に覆われている。


大阪弁で、「あーそでっか!」「受け入れますわ!」


これで済む話だろう!


満州国が不承認になったとしても、


リットン報告書があるのだから、それを受け入れる事で


日本の国益は十分に保たれたはずだ。


しかし松岡洋右外相は国際連盟の常任理事国の地位から脱退した。


私はイカレていると思うし、思考放棄以前の問題だ。


我々日本人全てが近現代史の総括において、深く反省するべきだと思う。


花のがくと















花のがくと

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