Verificatoin,ABCD siege !
太古よりのヨーロッパの日本の森と日本の森とでは、
その性質とスケールに圧倒的に違いがあるのだそうだ。
ヨーロッパの森は平地に何十メートルとなる樫の木やミズナラが発生し、
そこから溢れ出る光が天使の光となるそうだ。
その木々や光を見上げる時、とてつもない立体感が精神に宿るのだそうだ。
西洋人の精神はゴシック建築に表されるという指摘だ。
ただ、森は他の自然崇拝と違って、長時間の経過により海と川、または太陽と違って、
開墾が可能であり、大きく様変わりするだろう。
さて、連日、日本の近現代史の総括という作業に執念を燃やしている私の姿に、
読者からエールと賛辞を頂ければ光栄だ。
全ては日本が常任理事国に返り咲きを果たすための作業だ。
中国東北部、すなわち万里の長城の外側の地域は、伝統的に中国の土地ではないとする
日本の主張は正しく、同時に古来より日本の土地でもない事が表現される事は確実だ。
中国という東北部は伝統的に、女真族、満州人の土地だ。
しかしながら満州人の人達に自ら国家運営を行う、力量が未完成であったなら、
当時のLeagu of Nations , すなわち国際連盟が勧告案、実際的に結論を出している、
国際管理地域にーーという案は正しいベクトルではないか。
我が国日本はそれを受け入れるべきだったと思うし、受け入れても良かったと思う。
また、当時の国際連盟が国際管理地域にーーという結論を出したのなら、
それは西洋社会全体が自ら発した西洋主義に自らピリオドを打つスタート地点との、
国際社会の潮流を我々日本人が様々な角度から読み解きべきだったのではないか?
と大きく反省するべきだったと思うし、
我々日本人は大失敗をしたと猛省するべきだ。
現実として、先の大戦の敗北と亡国という厳然たる経緯があるからだ。
詳細を検証すると、我が国が国際連盟から脱退する理由は見当たらない。
繰り返す中で大きく反省するべきだ。
さて、昨年の暮れより、私はある論評にいささか疑問を持っている。
先の大戦前夜、日本はやむにやまれぬ理由により開戦を余儀なくされたという論評だ。
現在、疑問から大きく確信に変化している。
大きく再検証するべきだ。
それでは一体何によって開戦を余儀なくされたのだろう?
一般にはABCD包囲網とされているけれど。
それなならABCD包囲網を検証しよう。
花のがくと
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