ABCD line 4 !
1930年代は世界にとって最も困難な時期であっただろう。
世界経済の連動、各植民地の独立運動、共産主義の勃興、
政治家の人は大変だっただろう。
しかし言い訳をしてはいけない。
薩摩の西郷はきっちりと全てをこなしたからだ。
1929年に世界恐慌が発生するのであるが、
アメリカ国内にて訳の分からない法案が可決されたからだそうだ。
当時すでに世界経済は連動しているのだから、瞬く間に世界中に派生するだろう。
当時、Leagu of Nations すなわち国際連盟は対処する事が可能だったと思う。
我々日本人は国際連盟を過小評価している節がある。
世界初の国際平和機関であるから、画期的だった部分が多くある。
しかし同時に試行錯誤していたところも見受けられる。
日本はイギリスと同じく常任理事国だった。
私は率直に思う。日本が脱退したから国際連盟は崩壊したのだ。
1929年に発生した世界恐慌は10年間世界各国で協調していたら、
収まったであろう。しかし日本は1933年に脱退している。
国際的役割の放棄だ。
ABCD諸国は自国の経済のためにブロックを敷いたのであり、
日本を追い込むためにブロックしたのではないだろう。
結果として日本が追い込まれたのだ。
国際的識者に中に日本を追い込むためにーー、とする論評がある事を私は知っている。
しかし怪しい。世界各国はそれぞれに利権を有していたからだ。
例えそうであっても、国際連盟の常任理事国として日本が存在していたら
回避できた事は明らかではないか。
ABCD包囲網は世界恐慌に端を発し、各国が自国の経済を統制下する中で、
日本が外交的失敗を繰り返す中で発生したものと解する方が正しいと断言できる。
花のがくと
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