Mr, Yasuzou Suzuki !

ポツダム宣言の各項目を分析し、同時にその精神を考える時、


当時、日本を占領していた米国が憲法を押し付けたという事は考えにくい、


例え米国側が憲法を押し付けてきても、ポツダム宣言を根拠に拒否できるし、


またそうするべきだ。真相はどうなんだろう?


確認できる事実を検証しよう。


当時、幣原喜重郎という人が内閣総理大臣だった。


幣原首相は、松本蒸治という人に憲法を新しく作成する事を依頼した。


当時の米国の選択ではないので、米国は日本人の手によって新しく憲法をーー、


という指摘は正しい。さらに事実を確認すると米国は近衛公爵に憲法をーー


と考えていたようだ。ただ近衛公爵は公職追放になってしまった。


確かに言える事は当時の米国はどうあっても憲法は日本人の手によってーー、


と考えていた事は確かなようだ。ポツダム宣言がありますからね。


以前にもブログに記したけれど、松本蒸治氏を憲法担当にしたのは間違いだ。


松本氏は確かに博士課程を経ている。しかし商法!となっているので、


ビジネス方面の人に憲法を改正されてもーー、という感じが強い。


松本草案は米国によって拒否された。明治憲法と変わらなかったからだ。


この判断は米国の立場によって拒否されたのではなく、


民主主義、自由主義の観点から拒否されたのであるから、


その点を留意する中で、


我々は直ちに米国の押し付けという話に立ち至ってはいけないと思う。


次に確認する中で、当時の日本政府に英文において米国から憲法草案が手渡されている。


米国が独自で作成したのだろうか?


有力な意見として、当時米国がモデルとした憲法草案があるという話だ。


当時の米国GHQに民間あるいは公的な機関から複数において、


憲法草案を提出されていたという話だ。


その中で最も優れていたのが、


鈴木安蔵というという人とそのスタッフ達という事だそうだ。


当時の米国は鈴木氏の憲法草案をチェックし、


当時の日本国内でアンケートを採集したという話だ。あるいは話が前後するだろう。


鈴木氏とそのスタッフはの憲法草案を日本文、英文ともに作成したはずだ。


米国側は日本政府に提出した憲法草案は英文だったけれど、


鈴木氏の憲法草案をそのまま提出したかもしれないし、


一部において修正したかもしれない。


いずれにしても、米国が慎重に検討を重ね。


鈴木安蔵氏の憲法草案をモデルにしたのなら、


日本国憲法は基本的に日本人の感性において作成されたものとなるだろう。



花のがくと















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