1week , 9days !
一旦、話を整理し、要約する中で結論を出した方が良いと思う。
先の大戦の終戦間際において、当時の日本と連合国の間で取りまとめた約定である
ポツダム宣言を忠実に履行するのなら、当時の連合国及び米国が、
日本に新しく憲法を押し付ける事は不可能だ。
現実として、米国は近衛文麿公爵、幣原首相、松本蒸治博士に憲法を作成する事を
依頼または容認している。
しかしながら米国は松本蒸治博士の憲法草案を拒否した。
ポツダム宣言には連合国及び米国に拒否する権利は定められていのだから、
連合国または米国の立場ではなく、民主主義、自由主義という立場から、
再考を促したとするべきだろう。
時を同じくして、当時の米国、GHQに、
日本の各種団体から独自の憲法草案が送られていた。
その中で最も優れていたのが、鈴木安蔵とそのスタッフ達の草案だった。
ポツダム宣言にはあらかじめ自由な政府成立したら占領の撤収と記されているのだから、
日本の民主的な憲法の作成に数年もかかっていたら、醜態を晒す事になるのだから、
当時の米国の人達は藁にもすがる思いだった感がある。
資料にはホイットニー准将の憲法草案と鈴木安蔵氏のスタッフとの憲法草案は
共通項が多くあるとされている。
偶然の一致だろうか?そんな訳がないだろう!
音楽の世界で例えるのなら、デヴィットシルヴィアンと土屋昌已が同じ時期に、
同じ曲を作ったという事になる。
あり得ない!ホイットニー准将が鈴木氏の憲法草案をモデルにしたのだ。
また、当時ケーディス大佐は、松本案を拒否し、混乱していた時、
偶然手元に鈴木安蔵氏の草案があったとしている。
これもあり得ない!「偶然あったんですわ!」これは大阪人のノリだ!
偶然だったとしても、米国は鈴木氏の草案が優れていたと判断したなら、
鈴木氏本人及びスタッフ、その経歴を全てチェックしたはずだ。
私だってそうするし、読書諸氏もそうするだろう。
一般には日本国憲法は1週間、翻訳を挟んで9日間で作成されたとしている。
よくよく考えて見ると、そんな事は不可能だ。
1週間、9日間という日数は、鈴木安蔵氏達の憲法草案を日米両政府でチェックし、
微調整をかけた日数だと思う。そうでなければ説明が付かないだろう。
鈴木安蔵氏の評価や性質において左翼思想の人物だとする見解が多い。
私はやや違う見解を持っている。
鈴木安蔵氏の総合評価は世界中の優れた憲法並びにそれに付随する文献から
発生する平等並びに平和思想を日本において集大成をさせた人物だと解すべきだ思う。
いずれにしても大変優れた人物だ。
重ねて指摘する事実として、日本国憲法は鈴木安蔵氏の憲法草案をモデルとして、
米国が日本政府に英文にて推薦したのであるから、日本国憲法は日本人の感性において
作成されたもとであると確信できる。
花のがくと
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