1week, 9days 2 !

連日、友人や読者諸氏から賞賛の嵐だ。


ポツダム宣言の骨子と内容から、日本国憲法の成立過程に切り込んだ。


その事は誰が見たって私が最初だろう。まさに奇想天外、驚天動地。


友人や読者諸氏からは「さすがに花のがくと君は頭とセンスは抜群ですね!」との事。


自分で言うのは何だけれど、大蔵氏、敏達天皇の血統は違いますよ。


その事は今回、読者諸氏も痛感された事だろう。


ただ私は、自らの名聞名利や私利私欲のためにやっているのではなく、


我が国日本がひとえに常任理事国に返り咲きを果たすためだ。


花のがくと君は爽やかなり。


先の大戦の終戦間際、連合国と日本で取り決めたポツダム宣言の12番目に、


「日本国民の自由に表明せる意思に従い、平和的傾向を有し、

 かつ責任ある政府が樹立されるにおいてはーーー、」


と明確に記されている。


という事はだ、どこから見ても、誰が見ても、英語で見ても、フランス語で見ても、


連合国及び当時の米国が日本に憲法を押し付ける事は不可能だし、


実際に当時、米国は必死にになって、


日本人の手によって新しく憲法を作らせようとしている。


近衛公爵、幣原首相、松本博士、けれど失敗したという他ないだろう。


だからと言って、当時の米国が自ら憲法を作成して、


日本に押し付けたという形跡はないし、また同時に不可能だ。


ポツダム宣言の12項目があるからだ。


ところで松本蒸治博士が作成した憲法草案が、明治憲法と殆ど変わらなかった時、


当時の米国は落胆と焦燥感が強く発生した。


落胆については私も読者諸氏も理解できる。


問題となるのは焦燥感だ。なぜ焦燥感が発生したのだろう?


従前の見解を展開すると、当時の国際情勢が原因していたという話だ。


すなわち、国際社会において、昭和天皇を訴追すべきだ、という意見が高まっていた、


という見解だ。これは事実だと思う。


しかし私はポツダム宣言を全て読了した中で、もう1つ大きな理由があったと思う。


やっぱりポツダム宣言の12項目だ。


連合国及び米国は、日本に対して新しく憲法を作成するにあたって、


押し付けはもちろん指示することさえできないのだから、


当時の日本のエスタブリッシュメントの人達が、訳の分からぬ憲法草案を持ってきて、


これは閣議決定した草案です!となったら、The End 、万事休すだ!


繰り返す中で、連合国及び米国は、日本の新しい憲法の作成を見守るしかないからだ。


日本に民主的、自由主義的憲法が定着せず、


真の意味で軍国主義を排除する事ができなくなるからだ。


仮にそうなった時、本当の意味において第2次世界大戦は終了しなくなるからだ。


欧米の識者の中に、明治維新は真の革命ではなく、王政の回復ではないか?


そして真の革命は、日本に平和憲法が定着した時、先の大戦の集結の時だ、


とする説が幾分か存在する。詳細な研究が必要だ。


いずれにしても、当時の米国の焦燥感は、日本に民主的、自由主義的な憲法が定着するかど


うかであり、真の意味で日本から軍国主義を排除する事ができるかどうか?


という事にあったと思う。


さて、少し話を戻したい。


当時、松本水蒸治博士が作成した憲法草案は明治憲法と殆ど変わらなかったのだから、


米国は民主主義及び自由主義の観点から再考を促した、と前回のブログに記した。


再考を促したという表現において、読者諸氏の中には違和感を持つ人もいるだろう。


それなら考えて欲しい、ポツダム宣言には、米国には押し付ける権利も、


指示する権利もないのだ。


当時の米国が松本草案に接する際、私は大阪の人間であるから、究極において、


大阪のアクセントになってしまう。すなわち「こんなんあかんわい!」


と当時の米国がしたなら、明らかにポツダム宣言不履行で重大問題だ!


やはり民主主義と自由主義の観点から再考を促したとするべきだ。


実際はその通りだったと思う。


続けるにおいて、ホイットニー准将と鈴木安蔵氏の憲法草案が


共通しているという表現は誰が聞いたっておかいい!


偶然の一致とはあり得ない!


また、ホイットニー准将と鈴木安蔵氏の合作だとも思えない。


ホイットニー准将と鈴木氏が、デヴィットシルヴィアンと土屋昌已の関係のごとく、


面識があったとか音楽性が共通していたという事実は一切ないからだ。


単純に考えるにおいて、鈴木安蔵氏の憲法草案をホイットニー准将が採用したのだ。


他にはないだろう。


米国は日本に進駐した直後、日本の市民にアンケートを実施してる。


天皇制にについてなのか? 憲法についてなのか?


あるいは日本人の国民性に関してかは定かではないけれど、


総合的な日本の将来像という事であろう。


その作業の最中なのか、あるいは偶然かもしれないけれど、


鈴木安蔵とそのスタッフの憲法草案を発見した。


米国は十分に検討したはずだ。そしてベストだと結論を出した。


前回のブログで、米国は鈴木氏の憲法草案を英文で日本政府に推薦した、と記した。


やはり読者諸氏の中には、推薦したという表現に違和感を持つ人もいるだろう。


それならば考えて欲しい、ポツダム宣言には、憲法を押し付ける事も、指示する事も


不可能なのであるから、当時、米国が日本政府に「この憲法草案にしなさい!」とか


「この憲法草案にすべき!」という態度だったら、ポツダム宣言不履行で重大問題だ!


それなら、英文で推薦した!という表現が正しい!また背景には日本で米国がアンケートを


取っていた事が立場を強くするだろう。


私は大阪の人間であるから、究極において大阪のアクセントになってしまう。


すなわち「こっちの憲法草案がええんちゃいます?」


京都方面のアクセントなら、「こっちの憲法草案の方がよろしゅうおまっせ!」


という感じ。東京の人は大阪のアクセントと京都のアクセントを混同し、


同一視している人が多い。しかしその事は今は関係がない。


冷静かつ正確な事実として、日本国憲法は米国の押し付けではなく、


鈴木安蔵氏とそのスタッフの人達の憲法草案がモデルとなっている。


日米両政府の間で、多少の文言の解釈の検討や修正はあっただろう。


また米国から多少の要求はあっただろう。


しかしそれは微々たるものだ。強いて挙げるならば、ベアテ、シロタ、ゴードン氏の


女性の権利の向上くらいではないか?


1週間、9日間というのは鈴木氏のモデルを日米両政府でチェックした日数だ。


日本国憲法を成立させた日数ではない。


それでは日本国憲法のモデルとなった鈴木氏の憲法草案は


どれくらいの日数を擁して完成したのだろう?


端的に分析するなら、鈴木氏の生涯という事になるだろう。


しかしそれではあまりに短絡的だ。


そもそも源流を辿るにおいて、


中世末期より近世より我が国はオランダと国交を保ち続ける中で、


西洋の文献や書物を入手する中で、西洋の文明と文化の入手は行っていたのであり、


さらに19世紀、明治期から発展する中で、近代国家のあり方や基本理念や平等思想や


国家の基本理念の研究は着実になされていたのであり、


鈴木安蔵氏とそのスタッフの人達が世界中の憲法や文献をから知識を集大成し、


日本国憲法のモデルを作成したというべきだろう。


世界中の憲法を集めてーーー、という事は表現としては容易いけれど、


実際の作業としては困難だったであろう。


鈴木氏とそのスタッフの人達はその困難な作業を見事に完成させたのであり、


なおかつ、当時、日本を占領していた米国の人達の目に留まり、


ベストの結論を導かせたのであるから、


日本国憲法は鈴木安蔵氏とそのスタッフの人達、すなわち日本人の手によって、


世界中から優れた憲法、または思想にまつわる文献をから良質な知識を採取する事に成功した


世界最高の憲法となるであろう。そして現実はその通りだ。


今この時、日本国憲法の成立過程と真の姿が明らかになった。


自らの表現において僭越だけれど、大変すばらしいと思う。


率直に感極まる。


折角の機会だ、この際、日本国憲法に関する時、米国とか英文とか、


1週間とか9日間という事は破棄しようではないか!


実際には日本の良質な識者が長い年月と大戦と敗北という大きな困難に直面しながら、


大きな犠牲と代償を払う中で、


世界中の憲法や良質な思想を採集する作業において、


世界で最も優れた憲法を作成したというべきだ。


我々日本人は日本国憲法に、または世界最優良の憲法が日本に厳然と存在する事実に、


健全かつ高尚なプライドを持つべきだと思う。



花のがくと









献を




















































花のがくと

素晴らしい、上質な私のブログにようこそ!お互いに新し世界を構築しましょう!

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