2nd bullet!

12月の中旬になれば、やはり忠臣蔵だ。日本において忠臣蔵は語りつくされているので、

その人気は下火だが、外国の人には人気がある。

切腹のシーンは圧倒的に日本的で刺激的なのだそうだ。

赤穂浪士の行動は筋が通っている。

まずはお家再興を要求し、それが叶わなかったので討ち入ったのだ。

赤穂浪士の頭目である大石内蔵助の力量については賛否がある。

その根拠だが、お家再興を要求いている最中、仇討ち強行論者との諍いがあった時、

京都山科で遊興三昧だったという点と、実際に討ち入った時の人数が47名と少なすぎたからだ。

まず遊興三昧については、趣味ではなく、パフォーマンスだったと思う。

大石内蔵助が幕府にお家再興を願い出た時、旧浅野家の家臣は必ずしも、お家再興という点で1枚岩ではなかったからだ。

江戸幕府は大石内蔵助の動向に注視せざる得なかっただろう。

お家を再興してあげたにもかかわらず、その直後吉良邸に討ち入ったのでは、コメディーの領域を通り越してしまう。

大石自身も、大石の側近も江戸幕府の密偵達が蠢いている事を十分に察知したであろう。

そのため派手な遊興パフォーマンスで幕府を安心させたのだと思う。

同じことを羽柴秀吉がやった。信長の不興を買い、謹慎している時、家臣全員とともに、派手な酒宴を連日行い、その結果、見事難を逃れた。

話は戻るが、大石内蔵助はお家再興の作戦として、山科に移住した訳だが、これには大きな意味がある。

当時の将軍生母の宗教ルートを活用しようとしたのだ。作戦としては上質だと言える。

しかし浅野家再興の道筋は断たれた。ショックは小さくなかったであろう。

そして残る道は討ち入りしかない。実際に討ち入ったのは47名。やっぱり少ない。

ここで本日少し面白い話を聞いた。可能性は高くないが0ではないだろう。

実際に大石内蔵助と行動を共にすると盟約したものは100名以上いたらしいが、約半数が脱名している。

その中で奥野将監という人物がいる。家老格の人物であり、当初より大石と行動を共にするが、途中で脱名。

一次資料を積極的に分析すると、奥野将監は討ち入り第2弾を計画していたふしがあるとの事。

奥野は家老格の人物ゆえに幕府等の密偵の動きを知る立場にあったはずだ。

お家再興がなされなかったショックもあり、大石の計画する討ち入りは失敗するのではないか?という感覚に陥り、

一旦は脱明するが、奥野自ら第2弾を計画しようとしていたとの話が1部に囁かれている。

可能性は5%から10%位だ。

もし奥野将監の秘密の行動が大石との話し合いの中で、あるいは大石からの要請だったとしたら、とてもドラマティックな話だ。

何度も述べるが、0ではなく5から10%の話。

大石とて討ち入りが100%成功するという確信は持っていなかったであろうから。

全く0%ではないという事になる。


花のがくと








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